傘地蔵

年末になると思い出す傘地蔵の話、私は大好きなのですが、あれは情報空間上の(つまり心の世界の)リッチさが物理世界に反映する話ですよね(笑)。


あのおじいさんとおばあさんのどこがリッチかというと、彼らは傘が売れなくても、決して自分たちの貧しさを嘆こうとしないところです。本当は、別に売れても売れなくてもどちらでもよくて、雪に埋もれたお地蔵さんに傘をかけてあげるのも、一種のシャレのようなもので、そのオシャレさ具合が何ともリッチなのです。おじいさんの話を聞いたおばあさんも、「それはシャレたことをしたね」と喜びます。要するに、彼らは「余裕」に満ちているのですよ。

 

貧しさの本質とは、「お金がない」という物理的な貧しさではなくて、「貧しい」という現象にまつわるネガティブな感情でできているので、そんな「貧しい」感情と無縁のおじいさん、おばあさんのところにがっつりモノが届くのは、当たり前のことです。

 

商売で成功したら、競合を蹴散らしてもっと売上を伸ばして成長するのだ、という心は、むしろあさましく貧しいのでしょう。リッチになる、というのはそういうことではありません。自分だけではなく、この世のすべてがリッチになればよい、と考えるのであれば、それはとてつもなくリッチでしょう。もちろん、そのために自分が犠牲になる、と考えるのはネガティブですが。。。

最初はそう思っていても、やっているうちにリッチな状態の維持に専心していくのが人の心の常ですが、これまたリッチではありません。シャレていないのです。「(物理的に)リッチであってもリッチでなくてもどうでもよい。もっと重要なことは他にあるよ。」という、その心がリッチなのです。

 

心の世界に起きたことは、身体も含めて、モノの世界に必ず反映します。「お金があってもなくてもどちらでもよい」という余裕のあるリッチな心には、必ず物理世界でのリッチさが訪れるでしょう。


セラピスト一覧はこちら

マスターコースの詳細はこちら