物理世界と精神世界

私たちは、物質でできた肉体をもって物理世界に生きています。私たちが学校で受けた教育のベースになっているのは、西欧に生まれた科学であり、科学がその研究対象とするのは、もっぱらこの物理世界についてです。物理世界の特徴は、「目で見える」「手でさわれる」です。磁気や電波など、目に見えず、手で触れられないものもありますが、それらは物理的な測定器を使うことにより捉えることができます。

物理世界を対象とする科学のなかで主役を演じるのは物理学(Physics)です。世の中には、Physicsの上位に位置する世界を研究するMetaphysicsという学問があります。「形而上学」という古い訳語もありますが、メタというのは「上位」を意味する言葉なので、この物理世界の上にメタフィジカルな精神世界がある、と古来から人は考えてきたのでしょう。


およそ100年前に、ある物理学者が、3次元の空間と時間を掛け合わせた4次元という概念を提案しました。しかし、現代の物理学では、この世界には11次元まである、とも言われています。5次元から11次元(余剰次元とも呼ばれる)は、この時空間のどこかに折りたたまれている、と主張する物理学者もいますが、これらの次元は目で見ることも手で触れることもできません。

しかし、私たちが毎日リアリティをもって感じることができる思考や感情もまた、目で見ることも手で触れることもできません。つまり、私たちの思考や感情は、これらの高次元で行われている活動ということができるでしょう。

高次元の世界は、「精神世界」といってもいいし、「情報空間」といっても「霊界」といってもかまいません。この世界には「時間」も「空間」もありません。だから遠隔ヒーリングにより、遠いところにいる人やすでに死んだ人の感情をいやすことができるのです。


科学では、身体の頭部に「脳」と呼ばれる物理的な器官が存在し、ハードウェアである脳にまるでソフトウェアのように「心」が乗っかっている、と考えます。つまり「心」は「脳」の機能にすぎない、ということです。

脳は個別の身体に存在するのですから、各人がコミュニケーションするためには、言葉や身振り手振りを使って、自分の意志を外部に表現しなければならない、と考えます。テレパシーや第六感など、あるわけがない、という立場の唯物論です。

しかし、「感じる」という経験を深めていくと、人間は科学が想定している以上のさまざまな感覚を感じていることがわかります。


アニカで考える「心」は、個人の脳の機能ではなく、複数の縁ある人を包含する精神世界上の活動です。家族には、家族の構成員を含む大きな「心」があり、その「心」のなかでさまざまな相互作用が行われています。

たとえば、親がバリバリ仕事をしてたくさんお金を稼いでいても、親が自分の感じているストレスを無視していると、そのストレスは潜在意識に潜り込み、家族の一番弱い存在である子どもの潜在意識に侵入し、子どもがさまざまな問題行動を起こす原因となります。問題行動を起こしている子どもをいくら直そうとしても、親のストレスをいやさない限り直りません。問題の原因は、親が外部の世界に順応することを優先して、自分の感情を無視していることに他なりません。

親と子どもの身体が別々だからとって、心も別々であるとは限らない、ということです。私たちの心は、精神世界で縁ある人たちが共有するメディア(媒体)なのです。


精神世界には、時間も空間もありません。そこには、生死の区別もないので。はるか昔に亡くなった人たちの感情が渦巻いています。

そうした過去の感情に巻き込まれて、私たちは過去に生きた人たちの苦しい経験を今生で再生しているのです。


私たちが、今生の自分の人生を取り戻すには、精神世界に残っているこうしたネガティブな感情の記憶をきれいに掃除するしかありません。

アニカは、私たちの人生がうまくいくことを妨げる精神世界のネガティブな感情を処理するためのツールなのです。