科学を超える「感じる」力(2)

前回は、科学は物理的世界を対象とするものであり、モノの世界にない思考や感情は、対象外であることをお話ししました。

もし認知科学の研究などで思考や感情を測定する機械があったとしても、それはある思考や感情を人間が抱いたときの脳や身体の物質的な状態や変化(血流など)を検出し、そこから思考や感情の内容を類推するものになるでしょう。人間の思考や感情は物質ではないのですから、機械で直接とらえることはできません。


アニカ本で紹介したルパート・シェルドレイクも、物理次元を超えた情報場が生命活動や物質にまで影響を与えていると主張しましたが、モノの世界だけしか認めようとしない科学界から疑似科学として糾弾され、唯物論としての科学を批判した「科学の10のドグマ」というTEDでの講演映像が削除されたりしています。

(そうはいっても、前世紀から科学による「超能力研究」のようなものは世界中で行われており、「意思のサイエンス」リン・マクタガート(著)などで、植物が飼い主(?)の感情に反応するなど、興味深い研究が紹介されています。)


いずれにせよ、科学は魂などないという立場ですから、人間はあくまで肉体的な存在であり、心は脳の機能であると考えられています。当然、テレパシーのようなものは存在せず、他人とコミュニケーションをとるなら、言葉や身振り手振りなどの物理的手段を使って互いに意志を伝える他はないと考えられています。

しかし、アニカでの経験を振り返ってみると、人間は物理的な手段なしに、潜在意識を通じて、周囲の人たちとさまざまな情報をやり取りしているように見えます。特に潜在意識の奥底では、時間や空間、生死を超えて、先祖や過去世などの存在とつながっているようです。

ということで、私は常々、人はモノの世界とはまた別の世界で、思考したり感情を感じたりと、さまざまな活動を行っているのではないか、と考えています。

 

英語には、メタフィジックス(Metaphysics)という言葉があります。モノの世界を対象とする物理学(Physics)に、「上位」を意味するメタという接頭辞がついたメタフィジックスは、まさにモノの世界を超えた世界を探求する学問です。

メタフィジックスには、「形而上学」という古い訳語がついていますが、伝統的に宗教や哲学で、存在すること、知ること、アイデンティティ、時間、空間などの抽象概念を扱う学問です。


物理学でも5次元以上の高次元に関するメタフィジックな(笑)議論がありますが、実証されていない仮説であり、まさに物理世界の上に位置する抽象的な世界の話をしているわけです。モノを超えた世界の議論をするのに、モノの世界を対象とする科学的方法を使うのはどうなんでしょう?と私などは思いますが。。。

古代のインド哲学などは、まさにメタフィジックスですが、彼らは科学的な実験の代わりに瞑想をしていたわけです。それで、「宇宙の外にある自己が、宇宙内の根本原質に関心をもつことにより、この世界の諸要素が流出する」などと、まるで現代の素粒子論のようなことを考えていたのですから、スゴイものです。


遠回りをしてしまいましたが、要するに私は、この世界には、科学が取り扱うモノの世界の原理が通用しない「心の世界」があり、人間はその「心の世界」を毎日生きている、と言いたいのです。さらに、その「心の世界」はモノの世界の上位に位置していて、「心の世界」で起きたことがモノの世界に反映して、私たちの現実での経験を創り出している、と考えています。


人間にとって、この目に見えない「心の世界」にアクセスする手段こそが、実は「感じる」能力なのです。

(続く)