前世療法で後悔しないために──“ひとりで抱えない癒し”を求めるあなたへ

「前世療法を受けたけど、よくわからなかった」
「涙は出たのに、心が軽くなった気がしない」
「むしろ混乱してしまった…」

前世療法に興味を持つ人が増える一方で、そうした声も確実に存在しています。
そして多くの場合、その“後悔”は表面的な失敗ではなく、深いところで「ひとりで抱えさせられた」感覚から生まれています。

この記事では、前世療法でなぜ後悔する人がいるのか──
そして、それとは異なる「誰かとともに感じる」癒しのあり方とはどんなものなのかを、体験談を交えながら丁寧に掘り下げていきます。

もしあなたが、前世療法で「何かが足りなかった」と感じたことがあるなら、
あるいは、「受けてみたいけれど不安がある」と感じているなら、
ぜひ最後まで読んでみてください。

「私には効かなかった」後悔した人のリアルな声とその原因

前世療法に対して、「効かなかった」「受けて後悔した」という声も少なくありません。

それらの声を詳しく見ていくと、単に「効果がなかった」だけではなく、セッション中の不信感や違和感、心の準備不足など、さまざまな要因が絡み合っていることが分かります。

ここでは、Yahoo!知恵袋などに寄せられたリアルな声をもとに、「なぜ前世療法で後悔してしまったのか?」その背景を読み解いていきます。

「催眠にかからなかった」「リラックスできなかった」

「そもそも催眠に入った感じがなくて、前世らしい映像も浮かばなかった。気づいたらセッションが終わっていて、正直“何だったんだろう”という気持ちでした。」

「人に見られている状態だと緊張してしまい、全然リラックスできなかった。むしろ心拍が上がってしまって、集中どころではなかったです。」

前世療法は、ある程度の催眠状態やリラックスが前提となるため、緊張や警戒心が強いままだと、うまく潜在意識にアクセスできません。

また、「催眠にかからなかった=自分がダメだった」と思ってしまい、逆に自信を失うケースもあるようです。

「セラピストが誘導的で信じられなかった」

「セラピストが“あなたは戦国時代の武士ですね”と勝手に決めて話を進めてきた。全然ピンとこなかったし、“ああ、これはこの人のシナリオに乗せられてるだけだな”と冷めてしまった。」

「質問が誘導的すぎて、自分が思ったことではなく、“言わされてる感”が強かった。後で思い返すと、それがすごく不快でした。」

本来、前世療法は“クライアントの内側”にあるものを引き出すものであり、セラピストが先導するものではありません。

しかし、経験が浅いセラピストや、演出過剰なタイプに当たってしまうと、「これは作られた物語では?」という不信感が生まれ、癒しどころか違和感や拒絶感が残ることもあるのです。

「意味がわからなかった」「変なストーリーを見せられて困った」

「見えた映像があまりに突飛で、たとえば“宇宙人の研究所にいる”とか…。それって前世というより妄想?と思ってしまい、逆に不安になりました。」

「自分が“前世で誰かを殺した”とか“火あぶりにされた”など、ただただショッキングな映像だけが浮かび、何の意味があるのかまったくわかりませんでした。」

こうした声に共通しているのは、「出てきた内容をどう受け止めればいいかわからなかった」という戸惑いです。

前世のビジョンが、象徴的なメッセージとして受け止められれば癒しになりますが、それができないとただの混乱やストレスに終わってしまいます。

前世が悲惨すぎて落ち込んだ」

「前世でひどい人生を送っていたと言われて、“ああ、やっぱり私はそういう魂なんだ…”と妙に落ち込んでしまいました。」

「“家族から見捨てられて孤独死した前世”という話を聞かされてから、今の孤独感までリアルに感じてしまって、しばらく眠れなくなりました。」

前世の内容が悲惨すぎると、それがまるで“今の自分の宿命”であるかのように受け取ってしまう人もいます。

本来、前世療法は“今の人生をよりよく生きるための気づき”を得る手法ですが、トラウマのように受け取ってしまうと逆効果になるリスクもあります。

それ、あなたのせいじゃない──催眠療法が抱える“癒しの限界”

前世療法を受けた人の中には、「何も見えなかった」「出てきた映像が受け入れられなかった」と感じて、

「もっと準備しておけばよかったのかな…」
「私の感受性が足りなかったのかも…」
と、自分を責めてしまう人も少なくありません。

けれど──本当にそうでしょうか?

多くの場合、後悔や混乱の原因は、あなたの「準備不足」ではなく、「支える仕組みがなかった」ことにあるのです。

「出てきたものを、自分ひとりで意味づけなければならない」構造

前世療法では、セッション中に見えたイメージやストーリーを、基本的にクライアント自身が解釈しなければなりません

セラピストは誘導はしてくれても、「それはこういう意味ですね」と寄り添ってくれるわけではなく、
感情がこみ上げても、「それをどう扱うか」は本人次第です。

まるで、「感情の断片」をぽんと手渡されて、「あとは自分でどうにかして」と言われるような──
そんな孤独な癒しの場になってしまうことすらあるのです。

直観的に「違う」と感じたとき、誰も助けてくれない

出てきた前世が、もしあなたにとって突飛すぎたり、不快だったり、怖すぎたりした場合──

「そんなはずない」と感じても、それを誰かといっしょに見つめ直す場がない

催眠療法は基本的に、語った内容を「尊重」するスタンスを取るため、
その意味を一緒に問い直したり、「違和感」と向き合うようなプロセスは用意されていません。

感情が動いても、受け止めてくれる人がいない

つらい記憶や感情が出てきたとき、
それを一緒に感じてくれる人がいるかどうかで、癒しの深さはまったく違ってきます。

でも前世療法では、セラピストが「共に感じる」よりも、「進行を管理する」側にいるため、
泣いても、混乱しても、基本的にはクライアントが自力で乗り越えるしかないのです。

あなたが悪いのではありません──「構造の不親切さ」が原因です

「ちゃんと癒されなかったのは、自分のせい」
「前世が出てこなかったのは、受け止める力がなかったから」

そんなふうに思ってしまう人は多いですが、それはまったく違います。

問題なのは、最も脆弱な瞬間に、一人で感情やストーリーを処理させる構造そのもの
あなたが感じた「違和感」や「戸惑い」は、感受性の低さではなく、むしろ健全な直観だったのかもしれません。

「わかってもらえた」と感じる癒し──アニカが支える“共鳴”というしくみ

前章では、催眠による前世療法が「出てきた内容をすべて自分で意味づけるしかない」という構造を持ち、それが後悔や混乱の原因になりやすいことを見てきました。

でも、もしあなたが自分の内側にあるものを“ひとりで抱え込まなくていい”としたら?
見えてきた記憶や感情を、誰かと“共に感じてくれる”体験があったとしたら?

それこそが、アニカのアプローチです。

アニカでは、セラピストが“共に感じている”

アニカのセッションでは、セラピストがクライアントの無意識にある感情や身体感覚を、自らの身体を通して感じ取っています

言葉を交わさなくても、感情をうまく説明できなくても、
セラピストの身体が「その人の中にあるもの」に共鳴する

「わかってもらえた気がした」
「ただ“感じてくれていた”というだけで、すごく安心した」

そう語るクライアントが多いのは、自分の深い部分に誰かが“同じ温度で寄り添ってくれた”という実感があるからです。

出てきた内容に違和感があっても、無理に意味づけしなくていい

前世療法では、出てきたイメージに納得できないと戸惑いが残ります。
「これ、なんか違う」と思っても、それを誰とも共有できず、「自分が未熟なのか」と落ち込むことも。

アニカでは、そうした“違和感”もまた大切なサインとして扱います。

無理に意味づけを押しつけたり、「それはこういう意味ですね」と断定されたりすることはありません。
むしろ、「その違和感も、いま大事にしていい」と伝えられることで、自分の感覚に安心して立ち戻れるのです。

セラピストが“感じたこと”をやさしくシェアしてくれる

アニカでは、セラピストが感じた身体感覚や映像を、必要に応じてそっとシェアしてくれることがあります。

「いま、胸のあたりがぎゅっと締めつけられるように感じました」
「こんな景色がふっと浮かんできました」

そうした言葉が、クライアントにとって“自分でもまだ言葉にできていなかった感情”の輪郭を照らすヒントになることもあるのです。

ただし、それはあくまで「ひとつの感じ方」としての提案。

それを受け入れるかどうかは、いつもクライアントの自由です。
決して「正解」として押しつけられることはありません。

この柔らかさと尊重の姿勢が、安心して自己探求を続けられる土台になります。

その場で終わらない、“つながりのある癒し”

催眠療法では、「セッション中の体験」がすべてですが、アニカは違います。

感情が解放されたあとも、身体や日常に変化が表れることがあります。
だからこそ、アニカではセッション後日の変化にも耳を傾け、「その後どうだったか」をともに見つめる姿勢があります。

“点”ではなく“線”で支える──
それが、アニカの癒しが深く、安心して進める理由のひとつです。

アニカの前世療法体験談

「守れなかったあの人」──過去世の悲しみとともに泣いた日

キリスト教にご縁のあったNさんの対面アニカ体験談をご紹介します。

瀧上さんの対面アニカを受けました。
始まりはお腹のあたり。そこから、じんわりと身体が温まっていくような感覚が広がっていきました。

すると、不思議な映像が見え始めました。
海の向こうから、一艘の船に乗った“イエス様のような方”が、大きな聖書を抱えて、こちらに向かってこられるのが見えました。
その隣には若い男性がいて、不思議と「これが自分なのではないか」と感じました。でもその男性は、なぜかとても不安そうで、「イエス様のような方は大丈夫だろうか…」と心配しているようでした。

場面が変わります。
今度は、大勢の人々が集まる広場で、その“イエス様のような方”が聖書を手に布教されていました。
その隣にはやはり、さきほどの若い男性。彼は落ち着かない様子で周囲を見回しながら、何かに怯えているようにも見えました。

さらに場面が移り、衝撃的な光景が現れました。
“イエス様のような方”が、大勢の人々の目の前で処刑され、命を落とされていたのです。
その瞬間、若い男性は「自分が守れなかった」と深く後悔し、ひとり涙を流していました。
私もその深い悲しみに巻き込まれるようにして、涙が止まらなくなってしまいました。

瀧上さんは、静かにティッシュを手渡してくださり、一度セッションを中断してくださいました。
その優しさにも支えられて、私はもう一度深く感じる準備ができたように思います。

再び映像が現れました。
“イエス様のような方”をともに見送った人々──その若い男性、先祖のような存在の方々、そして私自身も含めて、みんなで真っ白な湯気の立つお風呂に入っていました。
なぜかとてもなつかしい風景で、あとから思い返すと、それは「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋のような世界でした。

お湯の温かさと、人と人とのあたたかなつながりに包まれながら、セッションは穏やかに終わっていきました。

アニカの“エネルギー”とでも言うのでしょうか──
その力は、私の想像をはるかに超えるものでした。

自分の中にうっすら感じていた「罪悪感」や「恐怖心」のような感情が、はっきりと涙としてあらわれたこと。
そしてそれが、現世のものだけでなく、過去世の体験とも深く結びついているという感覚。

この映像が何を意味するのか、いまの私にはまだはっきりとはわかりません。
でも確かに、私の深いところにある心の動きが、アニカによって浮かび上がってきたことは実感しています。

まとめ

前世療法には確かに、深い気づきや癒しをもたらす力があります。
けれどその一方で──

  • 出てきた内容を自分だけで意味づけなければならない

  • 感情があふれても、それを“ともに感じてくれる人”がいない

  • 結果として、置き去りにされたような孤独を感じてしまう

──そんな構造的な限界があることも事実です。

アニカのように、セラピストが“身体で共鳴しながら”クライアントとともに前世を感じるアプローチは、そうした孤独を根本から変えていきます。
言葉にならなくても大丈夫。
涙の意味がわからなくても、ただそこにいてくれる人がいるだけで、私たちは安心して癒されていけるのです。


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