アニカには、「感じてみればわかる」という原則があります。何かを判断する場合に、複雑なことを考えなくても、自分がどうしたいか感じてみればわかるということです。
現代の脳科学では、人間は何かを判断するときに身体の体感を感じて判断していることがわかっています。
このように、私たちは日常的に、身体で感じてさまざまなことを判断しているにも関わらず、その身体の感覚を無視することがよくあります。身体の感覚を無視して、苦しいことを続けていると、しまいに身体や心の病気になることもあります。
では、私たちが「感じること」を妨げているものは何でしょう? それは「考えること」です。
「考える」と一言で言ってもいろいろあります。たとえば、今晩の夕食を何にするか考えたり、旅行の計画を練ったりする意図的な思考には、何の問題もありません。
問題は、潜在意識にあるルーツのネガティブに巻かれて起こる「自動的な思考」です。そこには「こうしなければならない」「こういうことをしてはいけない」「これが正しくて、あれは間違っている」「これが善いことで、あれは悪い」という「思い込み」や「価値判断」がいっぱい詰まっています。典型的なのは、親の思い込みや価値判断です。
こうした思い込みにとらわれていると、無意識のうちに「自分を尊重すること」より「他者の思考」を優先することになりがちです。要するに、「自分を尊重すること」と「他者を尊重すること」が、「こちらを取ればあちらが失われる」というトレードオフの関係になり、親や社会に従わないことの罪悪感から、自分を優先できない場合が多くなってしまうでしょう。それは苦しいに決まっています。
もちろんアニカでは、「自分の幸せ」が「他者の幸せ」につながることは当たり前、と考えます。世界はそんな苦しいトレードオフでできているわけではなく、いかようにも自由に生きることができる、と考えるからです。
さて、アニカでは、このルーツ由来の「自動的な思考」に気づいて「感じること」にシフトすること(観察の瞑想と同じことです)をしつこく訓練していきます。しかし、それでも「考えること」をやめられない人もいます。
自分の思考や感情が誰か他の人(ほとんどの場合、ルーツ)のもので、自分はその思考や感情に乗っ取られているだけ、ということに気づくことが、一番難しいところでしょう。
理屈ではわかっていても、いざ自分のことになると気づかないうちに振り回されていることは多いです。
アシスタントの谷津絵美子もまた、かつて「考えること」をやめられなかった人でした。彼女の隣に座ってみると、彼女がしつこく考え続けていること(いくら考えても答えの出ないどうどう巡り)のネガティブが感じられて、こちらの胃が気持ち悪くなるぐらいでした。
今では笑い話になっていますが、谷津は私から激しくどやしつけられて(笑)、考えることをきっぱりやめることができました。彼女の「考えることをやめる」の本気度は素晴らしかったです。
考えても考えてもきりのないことを考え続けたり(特に「なぜ?」という答えの出ないことを考える続けるのは最悪です)、自分がやりたいことをやることや、やりたくないことをやらないことが、他人の迷惑になるのではないかと怖れたりするジレンマは、自分の心や身体にダメージを与えていきます。
自分だけならまだいいですが、人の心はつながっているので、周囲にいる家族(特に弱い立場の子どもなど)の心や身体にも無意識のうちにダメージを与えることは間違いありません。
こうしたことが理屈ではわかっていても、考えることをなかなかやめることができないのが、ルーツの苦しみの臨場感に巻かれた人間のつらいところといえるでしょう。
では、「考えること」をやめるには、どうしたらいいでしょう? おそらく誰かがやめさせることはできないと思います。谷津にしたって、「もう考えてもしょうがない、考えることを今、ここでやめないと、本当に苦しみをなくすことはできない」と固く決意して、考えることをやめたのでしょう。
誰かに何かを強制的にさせることはできません。その人が自分で本気で決断しない限り、変わることはできません。
そういう意味では、世界はとってもフェアだと言えると思います。