世の中には、自分を見ないでいいようにするものがたくさんあります。
たとえば、映画、演劇、音楽などのエンターテインメントだったり、スポーツ観戦だったり、お笑いだったり。
テレビはその最たるものかもしれません。家に帰ったらテレビをつけっぱなしにしている人は少なくないでしょう。
お酒を飲み続けることもそうなのかもしれません。^ ^;
子どもだったら、ゲームをやったりドラえもんを見たり、ですかね。
要するに、人生におけるヒマをいかにつぶすか、人生における苦しみをいかにまぎらわせるかに使われるものです。
感覚を楽しませたり、感情をゆさぶっていい気分にさせてくれたりするものですね。
こうしたものは、私たちを楽しませるためのもの、苦しみから逃避させてくれるものとして、ある程度は必要なのだと思います。
しかし、中にはどう考えても必要とは思えない、むしろ害になるものではないかと思われるものがあります。
それは「答えの出ないことを延々と考え続けること」、いわゆる「妄想」です。
妄想は、本当の自分の姿を見ないようにするためにやっているフシがあります。
たとえば、他者が自分をどう評価しているか、自分の言動をどう思っているか、などを推測するエンドレスな思考と言ってもいいでしょう。
「信念体系」という言葉がありますが、これは世界について自分が信じ込んでいることのリストです。そしてこの信念体系のなかに人間の暇つぶしの道具、妄想で創り出した世界観が入り込んでいることがあります。
自分を苦しめるような妄想、たとえば自分の外見がよくないとか、料理が下手だとか、能力がないとか、そうした自分に関する主観的な思い込みが、自分が自由に行動することを妨げていることに気づく必要があります。要するに、思い込みで自分の生きる世界を制限しているのです。
こうした思い込みは非常に強力で、いかに他者がその思い込みの間違いを指摘しても頑なに手放さないことが多いでしょう。
なぜならこうした思い込みは、今生の私たちが一代で創り出したものではなく、ルーツが膨大な時間をかけて築き上げてきたものだからです。
その中には、個人の妄想というよりは、ある時代の社会集団によって共有されたパラダイムのような「ものの見方」も含まれているでしょう。それは、現代人の感覚からするととても歪んだものであるように見える場合がありますが、未来に生きる人たちから見たら、現代人の「ものの見方」も相当歪んだものに見えるかもしれません。
ここでいつもの決め台詞を言うと、「考えているから物事の本当の姿が見えない。考えずに感じればわかるはず。」
自分の本当の姿も、考えずに感じればわかるはずです。
アニカが提供しているのは、価値判断をしない鏡です。自分をちゃんと見るには他者の観点が必要ですが、たいていの場合、他者の観点は価値判断で曇っています。アニカでは、自らが価値判断しない鏡となるため、「考えずに感じる」トレーニングを続けています。要するにヒーラーとは、相手のありのままの姿を映し出す鏡に他なりません。
「考える」から「感じる」へのシフトは、これからの時代を「真人間」として生きるための強力なツールになるでしょう。