「感じる」ことでなぜネガティブが消えるのか?(1)

いよいよ、「感じる」ことでなぜネガティブが消えるのか? について書いてみます。


以前、こんな話を聞いたことがあります。

コンサルタントやカウンセラーなど、相談を受けるような仕事をしている人のところにクライアントが訪れて、自分の悩みを話していきます。相談を受ける人は、ただふんふん、と聞いているだけで、クライアントは悩みを話し終えて帰っていきます。

クライアントは家に帰ってきたところで、自分の悩みが解決していることに気づきます。

そんなことが、世の中では実際にあるのだそうです。なぜこんな現象が起こるかというと、人間の悩みは、ほとんど心の悩みなので、その心の悩みがなくなると、世界へのものの見方が変わり、問題もなくなってしまうからだそうです。


では、相談を受ける人は、クライアントの「心の悩み」をどのようにして解消しているのでしょう?

相談を受ける人は「抽象度の高い」観点をもっているから、というのが答えでした。「抽象度の高い」というのはずいぶん抽象的な話ですが(笑)、もともと人間の心の悩みというのは、抽象度の低いものです。つまり、特定の具体的な物事を求めて、それに執着しているのですね。

たとえば、自分が恋愛をする対象は「誰でもよい」わけではなく、どうしても特定の「この人」でなければなりません。それが「抽象度が低い」という意味です。誰とでも恋愛できる人は、こだわりのない「抽象度の高い人」です(笑)。

年収は高ければ高い方がいい、と思うのは、「抽象度が低い人」です。お金なんかあってもなくてもかまわない、という人が、「抽象度が高い人」です。

言葉を変えていうと、抽象度が高い=「どうでもよい」、抽象度が低い=「こうでなければ満足できない」、ということです。


私たちが暮らしている地球の物理環境は、物の世界です。物は勝手に増やしたりできないので、人間は太古の昔から物をめぐった争いを続けてきました。たとえば、食べ物、土地、お金をめぐって奪い合ったり、競ったり、戦争をしたりしてきました(今でも盛大にやっています)。もっと身近な例でいうと、親の財産をめぐって子どもたちが争ったりすることがあります。


少し抽象度が上がって、人の気持ちをめぐって争ったりすることもあります。たとえば、親の愛情を求めて子どもたちが争うこともあるでしょう。お父さんやお母さんも肉体をもった存在なので、子どもたちに無限に愛を表現することはできません。心の世界では、本当は無限に愛を表現しているのかもしれませんが、子どもたちは、たとえば抱っこという身体を使った表現で、愛を受け取る実感を得るでしょう。抱っこするのは一度に一人ずつですから、その順番や長さを争うことがあります。親は平等に接しているようにしていても、子どもの方は「あいつばっかりずるい」と思い込むこともあるでしょう。異性の愛情を争うのも、結局は同じことですね。


こうした争いに負けたら、得た者への恨みが残ります。得ることができなければ、満たされない思いが残ります。得た者への怒りや嫉妬、満たされることができない悲しみ、さびしさ、孤独感などの苦しみを抱え続けることになります。

現代の日本では、食べ物のような物質的な欠乏はほとんど解消されていて、むしろ精神的な「満たされない思い」が蔓延しているように思われます。精神的な悩みが解消されないので、その代わりに満たされやすい食欲を満たすことにより心も満たされたふりをしようとして、身体の調子を悪くしたり、病気になったりすることもあるでしょう。


そうした心の悩み、満たされない思いに対して、相談を受ける人は「抽象度の高い観点」をもって接します。繰り返しますが、「抽象度が高い」というのは、簡単に言ってしまうと「どうでもよい」ということです。

悩みをもっている人は、「お金が欲しい」「愛情が欲しい」「満たされていない」と思っていますが、抽象度が高い観点から見ると、「そんなことはどうでもよい」のです。


「どうでもよい」ということは、「どうあってもかまわない」ということです。それは極端に、「愛情なんかいらない」「お金なんかなくてもいい」と思うことではありません。それは、ただのやけっぱちな態度です。

たとえば、親の愛情が得られなかったとしても、あなたを愛してくれる人はこの世界にいくらでもいるよ、という事実に気づけばいいだけです。親から愛情をもらえなかった、と思っていたけれど、本当は親は自分を十分に愛してくれていた、と気づくことさえあります。

お金がなくても、世の中にはいくらでもお金があって、施しを受けなくても、自分には十分なお金を得るだけの価値や能力がある、ということに気づけばいいだけです。


結局、「こうでなければならない」という思い込みや執着が、物事を自由に考えることを妨げているのです。「どうでもよい」という観点は、この現実をさまざまな角度からいくらでも自由に見ることができる、ということです。

言ってみれば、「満たされていない」という思いが、「満たされていない」現実をつくっているのです。少しでも見方を変えることができたら、「満たされない思い」を満たすことはこの世界でいくらでもできるのだ、と気づくことができます。そうすれば、「満たされない」現実は変わります。

それが抽象度の高い観点の「ものの見方」です。


でも、上記のようなことをいくら言葉で説明したとしても、おそらくクライアントに変化は起きないでしょう。なぜなら「満たされない思い」は、潜在意識の奥深くに潜んでいるからです。いくら顕在意識のレベルで言葉で伝えても、心の奥にはなかなか届きません。

潜在意識の深いレベルで、相談者に「あなたの満たされない思いは、現実の見方を変えればいくらでも満たすことができる」ということをわからせなければならないのです。

そのためには、相談を受ける側の「抽象度の高い観点」は、自らの潜在意識の奥深くに到達していなければなりません。つまり、世界を自由に見ることのできる観点が、アタマだけの理解ではなく、きちんと腑に落ちていなければならないのです。

それができているからこそ、言葉を超えたレベルで(たとえ何の助言もしなくても)、相談者の心の奥底に現実を変えるメッセージを届けることができるのです。

(続く)


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