考えている、考えている

観察の瞑想で自分の体感を感じている最中に、何かを自動的に考えていることに気づいたら、「考えている、考えている」と確認してほっておきます。

しかし、この「自動的に考えている」ことと「意図的に考えている」ことの区別があいまいなままだと、なかなか自分の自動的な思考に気づくことができません。


何となく考えていることが、現実にぴったり合っているような感覚を私たちはもっています。そして、私が感じている「現実」は当然、他の人とも共有されているはずである、誰もが私と同じように現実を見ているはずである、という思い込みを私たちはなかなか退けることができません。

「物事はこうあるべき」「物事はこうあって当然」という思考が案外、主観的なものであることに、人はなかなか気づくことができないのです。


「世界とはこういうものである」という信念体系は、人によって相当異なります。赤信号で車が来なくても渡らない日本人には、赤信号でもどんどん渡るフランス人が非常識に見えますが、フランス人から見れば日本人のやっていることが理解できません。

えてして人は自分が正しいと信じていることを、誰もが同じように正しいと信じていると思いがちです。その信念と違う行動をする人に遭遇すると、怒り出す人さえいるでしょう。


私たちは「考える」ことによって、この世界を創り出しています。「世界はこのようなものだ」と信じていますが、実は私たちがそう信じているからこそ「世界はこのようなもの」になるのです。

「この世界」に不都合を感じていたら、それは自分が「自動的に考えていること」に原因があるのです。


あなたが「自動的に考えていること」は何ですか?


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