やっと落ち着けましたので報告します。4月14日および16日の熊本地震を被害の大きかった南阿蘇村で体験しました。
地震発生直後からたくさんの方から安否確認のご連絡をいただきました。たいへんご心配をおかけしました。ありがとうございます。
現在は東京の実家に避難しています。
4月14日の地震(震度5弱)では、ひどい揺れがあったものの、ガス、水道、電気などのライフラインに異常はなく、近隣の益城町の被害の大きさに驚いていましたが、まさか翌々日深夜に直撃を受けることは想像していませんでした。
4月16日深夜の地震(震度6強)では、立っていることもできない状態で台所のカウンターにしがみついていました。いまだに右の胸のあたりがアザになっていて痛いので、相当な衝撃だったと思いますが、その他は腕を擦りむいたぐらいで済みました。床の上にさまざまなものが散乱していましたが、すぐに電気が切れて真っ暗になってしまったので片づけることもできず、明るくなるのを待つことにしました。強い余震がひっきりなしにきて、あまり眠れませんでした。朝になって見たら冷蔵庫が倒れ、洗濯機も枠を飛び出し、床の上はさまざまなものが散乱していました。
家の隣に廃校になった小学校があり、そこが避難所になっていました。食料が足りないのでお米など余っていたらもってきてほしいという放送があり、お米をもって避難所に行きました。役場の人に話を伺うと、阿蘇の方はたいへんな状態だが、熊本方面への道路は何とか通行できる状態だそうです。とにかくガス、水道、電気がすべて止まってしまったので、福岡空港から実家に避難しようと考えました。
荷物をまとめて車に乗せ、高速は通行止めになっているので下道を通り、福岡に向かいました。幸い、私が住む立野から熊本方面への道は多少ゆがんででこぼこになっていましたが何とか通れました。福岡方面の道はそれほど混んでおらず、途中でガソリンも補給できて、2時間ぐらいで博多に到着しました。
博多のホテルで初めてテレビで阿蘇大橋の崩落などの映像を見て、あまりの被害の大きさに絶句しました。阿蘇大橋はよく通っていたし、東海大学の寮の隣のセブンイレブンにはよく行っていました。
博多のホテルで久しぶりにゆっくり眠れて、翌日の飛行機で東京に向かいましたが、目的地の成田が強風のため、その日は関西空港に戻されて、翌日再度成田に向かい、無事東京に到着しました。東京で普通にガス、水道、電気が使える生活がいかに快適なものか、身に染みてわかりました。
被災地は今もたいへんな状況ですが、ライフラインが戻ったら状況を見て南阿蘇に戻ろうと考えています。
阿蘇の復旧には時間がかかると思いますが、きっと成し遂げられると信じています。
熊本地震で被災されたたくさんの方々にお悔みとお見舞い申し上げます。