瞑想では見つけられない心のゴミ

潜在意識に潜む心のゴミ、すなわちネガティブな感情をどう処理すればいいのでしょう?

ひとつ言えることは、「潜在意識」というぐらいですから、自分で自分の潜在意識の中身を探るのは、非常に難しい、ということです。


私たちが知っているなかで、潜在意識のなかを探る一番ポピュラーなツールは、おそらく瞑想でしょう。

瞑想の目的は、「自分を知る」ことであり、近年「マインドフルネス」として知られる瞑想法は、もとはといえば初期仏教のヴィパッサナー瞑想(自分を観察する瞑想法)です。


私自身、本を読みながら毎日一時間の歩き瞑想を一週間続けて、自分の怒りが起こる最初の瞬間に気づくことができるようになりました。もし怒りが始まる瞬間に気づくことができたら、そこで怒り続けるか、怒ることをやめるか、選択ができるようになります(しかし、そこでやめることができたのは、潜在意識のかなり浅い層の感情であったことが、アニカでより深い怒りの衝動を感じることができるようになった今ではよくわかります)。


しかし、瞑想を続けているうちにわかってきたことは、自分自身を観察するのは、なかなか難しい、ということです。ソクラテスが「無知の知」といっていること、すなわち、「自分のことがよくわからない、と言っている者こそが、自分のことを最もよく知っている」というように、自分を本当に(潜在意識のレベルで)知ることは難しいのです。

それはある意味、自分について客観的な視点をもつことが難しい、ということで、誰でも自分に対して主観的なものの見方しかできない、ということでもあります。

瞑想の本を見てやってみようとしても、なかなかうまくいかないのは、主観的な観点から自分を観察することは難しい、というのが一番の原因でしょう。


結局、潜在意識のなかのネガティブな感情は、自分が感じることを拒否した感情ですから、それをもう一度感じることは絶対に避けたいのです。二度と感じたくないものを顕在意識からいくら見ようとしても、見ることはできません。

では、どうしたらいいかというと、自分を観察するのに、他者の観点を利用すればいいのです。それがアニカでやっていることです。


他人を観察することは、自分を観察するよりはるかに簡単です。それは「他人ごと」として客観的に見ることができるからです。自分が変なことをやっていても、なかなか気づくことはできませんが、他人が変なことをやっていると、すぐにわかります。

ですから、この「他者の観点を利用して自分の心を観察する」というのがアニカの根本原理になります。


では、具体的に「他者の観点を利用して自分の心を観察する」というのは、どのようにやるのでしょう? それは一人で行う瞑想よりはるかに簡単であり、はるかに興味深く、楽しくさえあります。人間が誰でももっている「感じる」能力を活用するのです。

次回は、アニカのやり方を具体的に説明しますが、実は「他者の観点を利用して自分の心を観察する」ことには、思わぬ良い副作用があります。

(続く)


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