またまた超久々の投稿になってしまいました(汗)。
この間、いろいろとたいへんだったのですが、その話はまた別の機会に書くとして。。。。
アニカでネガティブ処理がうまく進まない原因のひとつとして、感じているつもりになっていて、実は考えてばかり、ということがあります。
私たちは子供のころから「よく考えて行動しなさい」と教育されてきましたが、この「よく考える」ということ自体にかなりあいまいなところがあって、日本人の場合、「よく考える」=「論理的に考える」というよりも、「よく考える」=「周囲の人たちの考えを察する」という意味ではないか、と思われることさえあります。
「周囲の人たちの考え」と「自分の思い」が対立するときに「自分の思い」より「周囲の人たち考え」を優先すべき、と信じているとしたら、それが自分の我慢となり、苦しみとなるのは明らかですが、日本人の社会ではそういうことが期待されている、と感じている人も少なくないでしょう。
要するに、私たちにとって「考えてばかり」の内容は、「周囲の人たちが自分にどうしてほしいか?」ばかりではないかと思うのです。
そんなことばかり考えていては、苦しくなるのも当たり前ではないでしょうか。
それに対して「感じる」というのはどういうことでしょうか?
アニカで「感じる」のは、自分と相手を分け隔てなくひとつのまとまりとしてその全体を感じることですから、もちろん相手のことも感じますが、自分がどうしたいのか、どうしたくないのかを感じることでもあります。
よく「自分が何をしたいのかわからない」という話を聞きますが、それは「周囲の人たち(=社会)が自分にどうしてほしいのか」ばかり考えて、「自分が何をどうしたいか」をまるで無視してきたからではないかと思うのです。
実は、「周囲の人たち(=社会)が自分にどうしてほしいのか」を考え続けているうちに、自分の心のなかに「自分は(周囲の人たちのために)どう生きるべきか」という思い込みの世界が確立されてきます。生きるのが苦しいのは、この他人優先の思い込みの世界と本当の自分の気持ち(=本音)がせめぎ合っているからでしょう。
こうした状態から、今一度、本当の自分の気持ちを感じて尊重しようとするのがアニカで「感じる」ということなのです。
この思い込みの世界から抜け出すには、まずは自分が自ら作り出した思い込みの世界に囚われていることに気づいて、その外側に出なければなりません。そのことに気づくには、いくら考えてもダメで、自分を感じることにより自分が自動的に考えている思い込みに気づく必要があります。
これ自体が観察の瞑想そのものですが、アニカはそこに他人の観点を導入している(第三者の目で自分を客観的に見る)のですから、さらに強力に自分が思い込みの世界に生きていることに気づくことができる(はず)なのです。
もしアニカをいくらやっても、自分が思い込みの世界に生きていることに気づかない(=ネガティブ処理が進まない)のであれば、それは考えてばかりで本当に感じることができていないからでしょう。
ということで、今週末のコースからは、さらにこの点を重視して進めていきたいと考えて(笑)います。
ちなみに、「考える」→「感じる」へのシフトがちゃんとできていると、このようになります。谷津絵美子のブログをお読みください。
《期日を守らないことへの怒り》が「自分は(周囲の人たちのために)どう生きるべきか」という思い込みの世界。
しかし息子さんの反応を感じて気づくことができたので、他人優先の思い込みの世界を抜けて、互いの感情を感じて理解し合う平穏な世界を生きることができるようになったのです。