納得のいかないことを飲み込む話

しばらく前に、前に進むには、納得のいかないことを飲み込まなければいけないのではないか、と考えざるを得ないような状況に追い込まれました。

私にとって「納得のいかないこと」とは、たとえば「不条理な転生システム」とか「過去世の尻ぬぐいをさせられる」とか、そういうことです。

たとえば、今、私がネガティブを処理しているチベットの過去世が、周囲の人たちに多大な迷惑をかけて恨まれている場合、私はネガティブ処理の過程で、恨んでいる人たちにお詫びして、その人たちのネガティブまで処理しなければなりません。

これは、たとえば親が莫大な借金を残して、それを返済することと同じかもしれません。誰かが借金を返さなければならないとして、自分がそれを引き受けるかどうか、それをやることに意味があるのか、いずれにせよ、自分が前に進むには、そこから逃げられないようなことがあるのではないか、と考えたのです。

アニカでは、「やりたくないことはやらないでいい」と考えます。「やりたくないことをやる」ことは、潜在意識に我慢や怒りを溜め込むことになり、そのネガティブな感情が自分や家族など周囲の縁ある人たちに悪影響を与えることは間違いないからです。

ですから、納得のいかないことを飲み込んで「やりたくないことをやる」のではなく、何とか「やりたくないことをやる」意義を見つけ出さなければならない、と考えたのです。それはただ、「現状を突破するには、やりたくないことをやらなければならないのなら、自ら進んで自分の意志でやってやろうじゃねーか!なぜなら私は前へ進みたいのだから」ということに他なりません。まるで実存主義のような話ですが。。。

ここまで来て、ふと思ったのですが、もしかしたら「納得のいかないことを飲み込むことをイヤイヤやっていたのは、私の過去世だったかもしれない」ということに気づきました。

もしそうだったら、今生の私は、その過去世のネガティブを感じて処理してしまえば、そこまで「納得いかないこと」ではなくなるかもしれません。やってみました。

結果として、その気づきは正解だったみたいで、現在の自分はこの転生システムを「不条理」だとそれほど思わず、「過去世の尻ぬぐい」も「しょうがないこと」と捉えられるようになったと思います。それが証拠に、以前はこの過去世に「しょうもないことしやがって!」とむちゃくちゃ怒っていたのに、その怒りがとても薄くなりました。

アシスタントのえみちゃんに言わせると、私は「子どものようだ」と言うのです。それは、今生の成長過程で親から肝心なことを教わっていないから、とも言われました。確かに、私は子ども時代に、何でも話せるような信頼できる大人は親も含めて一人もいませんでした。トリフォーの映画に「大人はわかってくれない」というのがありますが、その通りでした。ですので、私は人を頼ることができず、何でも一人でやってきたし、それによってさまざまな軋轢も経験してきました。

それがやっと今になって、「何でも一人でやらなければならない」という状態を脱するときがやってきたのではないか、と思います。

「しょうがない」ことを「しょうがない」と認めることが、やっとできるようになってきたのでしょう。それは、何もかもが納得いかずに死んでいったであろう私の過去世たちのネガティブを処理していくことにより、彼らに巻かれることがなくなってきたから、とも言えます。

アニカをやっているみなさんも実感されていると思いますが、強いネガティブを抱えた一人の過去世をポジ化させるのは、本当に忍耐が必要です。

しかし、前に進むには、忍耐をもってネガティブ処理にあたるしかありません。

前に進みたければ、「親の借金を返す」ような苦しい作業を「自分のため」と思ってやるしかないのでしょう。

そして、その見返りは今後の人生の中で十分あると考えています。


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