科学では、物質的な肉体がすべてですから、心があるといっても、それは個人の脳のなかに存在するものと考えられます。
しかし、アニカでは、心は個人の肉体に収まるものではなく、縁あるたくさんの人たちが交流する「場」である、と考えます。アニカで感じてみると、人の心のなかには、たくさんの人たちの思いが感じられるのです。
これからお話しすることは、科学的な教育を受けた現代人の常識からは外れているかもしれませんが、アニカでは自分の外側で「正しい」とされていることよりも自分が感じたことを重視しますので、アニカでの6年間の体験をもとにお話しします。
こうした情報が、まったくのでたらめではない、と考えるのは、今生を生きる人たちの心の悩みを解消するのに実際に役立っているからです。
それでは、目に見えない「心の世界」には、どんな存在が住んでいるのでしょう?
その代表的な存在が、家族です。
親子、兄弟姉妹は、遠く離れていても、常にお互いを感じあっています。そのときに感じられる感情は、必ずしも現在のものだけではありません。今生の過去で起きた出来事に際して生じた感情、さらには過去世のときの因縁めいた感情も感じられます。
心の世界には時間、空間、生死の制限はないので、先祖や過去世など、過去に生きた人たちの感情が感じられるのです。そして、今生で家族になるのは、過去世においても家族または近しい人として何度も関係をもったことにより起こることです。
このように、誰の心のなかにも複数の人の感情が渦巻いているのですが、普通、人はそれら他人の感情を自分のものと勘違いして生きていることが多いです。
たとえば、女性の場合、母親との関係はほとんど一心同体といってもいいぐらい強いので、自分の感情だと思っていたものが実は母親の感情だった、ということはよくあることです。
また人は、過去世のときの家族と何があったか、そのいきさつは忘れていますが、当時の感情だけは覚えています。そして、過去世のときの感情と自分の感情をごっちゃにして感じているのです。
家族や知人に対して、繰り返し同じような怒りを覚える場合、その感情は今生のものではなく、過去世での関係のときに生じた因縁的な感情の記憶が原因で起こる場合があります。
初めて会った人に嫌な感じがするのも、過去世のときに生じた感情を感じている場合があります。地球には70億を越える人たちが生活しているのに、実際に会ったり、話をしたりする人の数はごく限られていますが、そうした縁のある人たちに、この世で偶然ばったり出会うわけはありません。過去に何かの縁があるからこそ出会うのです。
人はどうして、このように他人の感情と自分の感情を混同してしまうのでしょう? それは人に共感する能力があるためです。
小説を読んだり、映画を見たりするときは、主人公の感情にリアルに共感するので、感情が動かされ、感動するのです。それと同じように、私たちは常に、縁ある人たちの感情に自然に共感しています。肉体を超えた心の世界では、自他の区別はそれほどつきにくいのです。
人はひとりで生きているわけではなく、縁ある人たちは、まるで竹藪の竹のように地中の根の部分で深くつながっています。地中の根の部分というのは、心の世界では潜在意識の深い場所を意味します。
潜在意識というぐらいですから、日常的な意識では気づくのが難しいですが、心の深いところでは、こうした交流がひそかに行われているのです。
(続く)