母が亡くなりました。 母が亡くなった日の夜に、床についてから思い出したのは、まだ私が子どものとき、やさしく育ててくれた母のことでした。私は小さいころ、食が細かったそうですが、母が根気強く、つきっきりで食べさせてくれたことを今でもはっきりと覚えています。
誰でもそうだと思いますが、家族に対しては、喜怒哀楽のすべての感情が複雑に入り混じっています。私は過去世を信じていますが、私と母との間にも、過去世における因縁じみた関係がいくつもあり、そのネガティブを処理していくにつれ、関係も変わっていきました。 特に今年の後半は、いい関係が作れたと思っています。その矢先のことだけに、とても残念に思います。
アニカを続けているうちに見えてきたことは、家族になるほどの縁があるということは、過去において何度も、親子になったり兄弟姉妹になったり、加害者になったり被害者になったりしたことがある、ということです。もちろん、いい関係もあるのですが、むしろネガティブな関係が多かったからこそ、その引力で今生において家族になったのではないか、と思えるほどです。
人間は誰しも過去にしばられて生きている側面があるでしょう。私は過去にしばられて自由になれないことが、どうしても納得できなくてアニカをやっているようなものですが、たとえばある過去世が苦しんだ人生の記憶が、今生の自分に影響を与えて、無意識のうちに同じような経験をしてしまうことに対して、たまらなく怒りを感じることがあります。 もしその過去世が幸せな人生を送ったのなら、今生の私ももっと自由に生きられたかもしれないのに、自分とはいえ、そんな見ず知らずの人の行動の影響を受けてしまうことが、とても理不尽に思えます。 もちろん、自分ばかりではなく、家族(家族の過去世も含む)のさまざまな影響を受けてしまう人間というのは、何と不自由な存在なのだろう、と考えざるをえません。
もちろん、ポジティブな影響もあるのだから、そんなにネガティブな側面ばかりに意識を向けるのもどうかとは思うのですが、調子の悪いときには、ネガティブな方にばかり気をとられてイライラすることも多いです。 私にとって、「怒り」という感情はかなりなじみ深いものであり、自分の本質をなしているのではないか、と思うことがありますが、その「怒り」は理不尽な人間の存在に対するものであることは間違いないと思います。 おそらく、この「怒り」は今生が終わるまで続くのではないか、と今は思っています。