瞑想の技術「ほっておく」

本日は、アニカの基礎をなす瞑想についてのお話です。

 

 

 

瞑想は大きく分けて、集中の瞑想と観察の瞑想に分けられます。



集中の瞑想とは、ヨガや座禅などで、一点に集中したり、呼吸に集中したりする瞑想であり、心を落ち着け、静かにすることを目的とします。

観察の瞑想は、心の動きを観察することが目的なので、いくら雑念が出て心が騒いでも、そのことに気づいていればかまいません。



たとえば、初期仏教のヴィパッサナー瞑想であれば、身体の感覚を感じているときに何か考えてしまったら、自分が自動的に考えてしまったことに気づいて、また感じることに戻る、ということを繰り返します。

この「考えていることから離れる」=「ほっておく」ことが瞑想の重要なスキルになるのです。


ここで「ほっておく」ことができないと、思考がまるでストーリーのように展開して、「妄想」に入ってしまいます。

「妄想」に巻き込まれてしまうと、そこから脱出することがなかなかできなくなります。



私たちは日常的に、こうした「妄想」を繰り返していますが、実は「妄想」が常態になってしまう場合も少なくありません。いわゆる「思い込み」です。

誰でも「あの人はああいう人だ」「自分はこういう人だ」「世界とはこういうものだ」という他者、自身、世界に対する思い込みをもっていて、それが本当のことだと信じています。


観察の瞑想は、もちろん身体の感覚を「感じる」ことを主にやっていて、それが「わかる(=いわゆる悟る)」ことにつながってくるわけですが、その副作用として、自分が自動的に「妄想」していることや、それが常態化した「思い込み」にまで発展していることに気づけるようになります。



「思い込み」は潜在意識に深く根づいている場合が多いので、他人から「思い込み」を指摘されても、なかなか「思い違い」に気づけません。

なぜなら、「思い込み」には、確固としたリアリティがあるからです。

そのリアリティがどこから来ているかというと、感情から来ているということができるでしょう。特にネガティブな「思い込み」は、強いネガティブな感情に支えられています。



「自分には能力がない」という「思い込み」があるのなら、それはたとえば、子どものときに親から否定されたことが原因になっているかもしれません。

そのときの感情的動揺があまりに大きかっ
たため、感じることを拒否された苦しみの感情が潜在意識に潜り、そのネガティブな感情が「自分には能力がない」というつらい信念を支えることになったのです。


その苦しみの感情を取り除くことさえできたら、「自分に能力がなかったら、能力をつけるために学んだり、経験を積んだりすればよい」と普通に考えられるようになります。

しかし私たちは、潜在意識に潜むネガティブ感情をなかなか見つけられないために、こうした「思い込み」を取り外せない場合が多いのです。



「ほっておく」というのは、「距離をとって客観的に見る」ことです。

「思い込み」をほっておくことができたら、人生におけるさまざまな出来事をいろいろな角度から見れるようになるでしょう。

それは、自由な選択肢が増える、ということでもあります。


これこそが、観察の瞑想における成果のひとつであるといえるでしょう。

 

 

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