怒りの裏に罪悪感あり

怒りの裏に罪悪感あり

「怒りの裏に罪悪感あり」、最近アニカをやっていてよく思うことです。

誰か他人に怒っているとき、それは自分の中にある罪悪感を見ないようにするためにやっているのではないか、と感じられることが多々あります。「罪悪感がある」ということは、何かヤバいことをやらかしてしまったと薄々自分で気づいているのですが、しかしそれをあえて見ないようにしている、ということです。これは過去にやらかしてしまったことだけではなく、現在もやらかし続けていることに対しても当てはまります。

ある中学生の経験

ひとつ例をあげましょう。

ある中学生が、高校受験をすることになって、ちょっと遠くの学習塾の夏期講習に行くことになりました。この男の子は、本当は塾なんて行きたくなかったのですが、親の期待に応えるために行くことを承知したのです。

夏期講習の初日、そこの先生の機械的なやり方が嫌になって、この中学生は塾を抜け出してしまいます。とはいえ、この子はとても気が小さかったので、喫茶店などに入ることもできず、ひたすら夏の暑い街中を思いつくまま歩き続け、夕方に家に帰りました。そういうことを夏期講習が続いている夏の間、毎日のように繰り返したのです。

夏休みが終わった後、男の子は疲れ果ててしまっていました。そのことに最初に気がついたのは、この子の親ではなく、塾の先生でした。男の子は、自分がこんなにつらい目にあっているのに、なんで親はわかってくれないのだと本当にイヤな気持ちになりました。

この子が大人になってからも、この中学生のときの夏の出来事は、トラウマのように強い感情をもって思い出されるのでした。親に対する怒りも消えることはありませんでした。

怒りが消えないのは罪悪感があるから

お察しの通り、この中学生は私なのですが、ごく最近(汗)、このトラウマ的ネガティブ感情を手放すことができたのです。それは、いくら私がつらい思いをしていたとしても、私は塾をさぼっていたので、その罪悪感があったのだと気づけたからです。あぁ、自分は本当は悪いことをしていたと思っていたんだ、ということに気づいたとたん、親に対して長年抱いていた「親のせいでつらい思いをした」「自分は親の期待の被害者だった」という怒りがスッと消えました。

結局、この罪悪感の否定が、長年の間「わかってもらえない」「人から信用されない」「誤解される」などの不都合な現象を引き起こしていたことにも気づきました。「わかってもらえない」「人から信用されない」「誤解される」のは、自分が悪いことをしていた(と思っていた)からです。でも、そのことを認めようとしなかったため、こうした現象が起き続け、またその原因もわからなかったのです。

他人に対して、衝動的なしつこい怒りがあるとき、自分のなかに何か悪いことをしたという罪悪感がないかチェックしてみてください。もし気づくことができたら、怒りが消えるとともに、思わぬ方面で不都合の解消ができるかもしれません。