脳の内部モデルの主観性

これまでの常識では、私たちは視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感から外界の情報を取り入れ、それらの情報を脳内で再構成することにより現実を体験している、と考えられてきました。

しかし、それは現実とはほど遠いことが、最近の脳神経学の研究で明らかになってきました。


たとえば、人間の感覚のなかで最も大きな役割を果たすと言われている視覚について、以下のような研究があります。


サンフランシスコのアルカトラズ刑務所の受刑者が、そのなかでさらに悪いことをすると、ザ・ホールという独房に送られます。そこは3メートル四方の外界から完全に遮断された光も音もない世界なのだそうです。

そこに入れられた受刑者は、光も音もない世界のなかで、幻覚を見るのだそうです。ある受刑者は、光の点が見えて、その点を広げてそのなかでテレビを見ていたそうです。また別の受刑者は、自分が凧揚げをしている光景をリアルに見ました。


私も瞑想合宿で、さまざまな幻覚を見た体験があります。つまり、人間の視覚体験は、外界からの視覚データだけではなく、自分の頭のなかに記憶されている視覚データにもとづいて行われている、ということです。


実際に、両眼から入った視覚データは、脳の中央にある視床に送られ、そこから後頭部の視覚皮質に送られるのですが、中継地点である視床には、両眼より送られるデータの10倍のデータが視覚皮質からフィードバックされるそうです。何をやっているのかというと、目から送られたデータと脳内で記憶しておいた視覚情報を比較して、記憶と違う情報だけひろっている、というのです。

人間の脳は、外界から取り込んだデータをすべてリアルタイムで処理する能力はないので、記憶したデータと外界から取り込んだデータを比較し、重要性のある違いを見つけた場合にのみ内部記憶を書き換えて、現実を作り出している、ということです。つまり、脳のなかには「世界はこういうものだ」というモデルがすでにあって、それをもとにして、私たちは現実を体験しているのです。この内部記憶のかたまりを「内部モデル」と呼びます。


仏教では、人間には、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)、意(い)という6つの感覚器官があるとされています。最後の「意」は、外界の感覚ではなく内側の心を感じる感覚器官で、上記の内部モデルにあたります。2千年も前に、瞑想での観察により、最新の脳科学が見出した脳のしくみをとらえたのは、すごいことだと思います。


このように、人間はものごとをあるがままにとらえることはできません。仏教で「この世界は幻想である」というのも、脳の内部モデルを主体として構築された人間のリアリティが、いかに主観的であるかを喝破した表現といえるでしょう。私たちは、それぞれがそれぞれの内部モデルにもとづいて世界を見ているのです。あなたと同じように世界を見ている人は、この世にはひとりもいない、ということです。


私たちが世界を体験するときに利用している内部モデルは、言ってみれば、「世界はこのようなものである」という記憶でできています。その記憶は、科学では私たちが生まれたときから始まると考えられていますが、本当は私たちが生まれる以前から長い時間をかけて、先祖、過去世といった過去に生きた縁ある人たちの記憶を集積したものである、とアニカでは考えています。

そのため、私たちが世界を見るものの見方は、遠い昔に生きた人たちの記憶から大きな影響を受けているのです。

(続く)