どうしたら被害者意識を脱せるか?

「被害者意識」というのは、人のせいにばかりして自己責任を取ろうとしない見苦しい態度であり、人が被害者でい続けるのは「自分は悪くない」「人のせいなのだから自分が解決に動こうとする必要はない」などの言い訳ができるメリットがあるからだ、などとボロクソに言われています。

私も「被害者意識」についてそういう面があるだろうとは思いますが、自分を振り返ってみて「被害者意識」があるかというと、ありますね~(苦笑)。

私にとっての加害者は誰かというと、今生の私の人生に悪影響を及ぼし続けている私のルーツ(先祖・過去世)といいかげんで理不尽な転生システムなのですが、去年までこれらに対する怒りはすさまじいものがありました。

アニカでは、ネガティブ感情の処理が主なので、長い間さまざまな観点から潜在意識の中のルーツの怒りを感じて処理していくうちに徐々に怒りが減ってきて、今年に入ってからは何とかそれほど怒らずにルーツのネガティブを処理していくことができるようになりました。

それまでは、自分の過去世とかに本気で怒っていました。たとえば、最近取り組んでいるチベットの過去世に対して、お前が自分の人生でやりたくもない人助けを我慢しながらイヤイヤやって、そのイヤイヤやっていることさえ隠して善人面して生きていたことによって溜め込んだネガティブ感情を背負わされた今生の私は長期間にわたってさまざまな嫌な体験を繰り返ししてきた。どうしてくれる!というわけです。

こいつ(私のチベット過去世)が我慢なんかしないで、好き放題生きたら、今生の私はこんなにイヤな思いをせずに生きてこれたのではないか、と思わずにはいられません。この人のネガティブを感じていると、本当にしつこくて、いつまでたっても怒りがおさまらない、まるで火山の噴火のように溶岩がいつまでも噴出し続けているような感じです。

以前は、こうしたルーツたちに「あなたたちが作り出したネガティブの処理を手伝え」と訴えてみたこともあったのですが、こいつらはこれだけ人に迷惑をかけていながら、まったくその処理を手伝おうとしません。そこでまた、怒りが生じる、という悪循環を繰り返していました。

上にも書いた通り、それでもコツコツ処理を続けているうちに、だいぶ怒りは収まってきたのですが、決定打となったのは数日前に、チベットのそのときの両親が誰かわかったことです。その人たちは、今生の私のわりと身近にいる人たちで、今生のつきあいはほとんどないのですが、どんな人たちかはよく聞いていたのです。その人たちは、チベットでは夫婦で私の親だったのですが、今生では親子でほぼ断絶状態といっていいほど仲が悪いのですが、その原因はチベットのときの関係にあるのです。

それがわかったとき、あぁ、私のチベット過去世がこの人たちの子どもだったとしたら、この人がこれほどまでのネガティブを溜め込んだのは仕方がないことだったのかもしれない、と思いました。この人にはこの人なりの事情があって、それだけひどい状態に追い込まれたのだ、と初めて思えたのです。

だから、私にとって「被害者意識」を脱するきっかけとなったのは、それまで「加害者」と思っていた自分の過去世にも事情があってそうした生き方をせざるをえず、その結果、大量のネガティブを溜め込むことになってしまったのだろう、という実感でした。「加害者」には「加害者」なりの事情があった、ということに思い至った、ということですね。

人生というのは今生だけ見ていると、一方的に被害を受けていたり、嫌な思いばかりしていたり、とても理不尽なものに思えます。なぜなら、そこまで嫌な思いをする理由がまったくわからないからです。「人間、死んだらおしまい。転生とか過去世なんて非科学的なものはない」と考えている現代人の常識からすれば、それこそ私が「理不尽な転生システム」を恨んだように、この人生はとても理不尽なものに思えるでしょう。

もし過去世で起こったことがわかったら、または覚えていたら、今生でそんなひどい目にあう理由がわかるかもしれません。そうしたら、自分の人生で経験する一見理不尽な出来事の連続にも「あぁ、それなら仕方ないことだ」と納得できるでしょう。

その理由がわからない限り「被害者意識」を脱することは難しいのではないでしょうか。それこそ冒頭に書いたように、「被害者意識」を持ち続けることの間違いを理屈で言いたてられても、そんな理不尽な状況では、とても「被害者意識」を手放すことはできないでしょう。

人間が「被害者意識」を手放すことを納得するには、どうしても「理由」が必要なのです。

そして、現在よりも過去の方が状況的にはるかにひどかったことがわかったとき、今生の自分の状況が「それよりはずっとまし」に思えて、そこで初めて「被害者意識」を捨てることができるのではないでしょうか。

アニカをやっていてつくづく感じるのは、「こ世界には偶然に起きることなどない」ということです。家族を始めとするこの人生で出会う人たちも、その人たちとの間で起きるさまざまな事件も、私が経験することはすべて意味があって起こっているのです。

私がこの人生で出会う人たちとの過去のいきさつを知ることにより、「あぁ、それでは仕方がない」と納得し「それなら今の人生の方がよっぽどまし」と思えたら、「自分の人生はやられてばかり」という「被害者意識」を手放すことができるでしょう。そうなれば、もはやこの人生で理不尽な被害者的経験をすることはなくなります。

この世界で経験することは、すべて私たちの心の反映なのですから。


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